2018年9月21日 (金)

祈りの原型

伝えたいことが沢山あります。

前回記事
神社とまつりと神話

平成30年9月22日開催
魂とつながる〜神結〜森戸神社プチリトリート


ご紹介VTRみてね
お申し込みはコチラ

森戸神社プチリトリート

フォォォックス
毎日のように神社に行く、
神社ライターモクさんです。
先日は、伊勢山皇大神宮の行事に行った後、
バディのタケちゃんこと、
浜田武仁さんが講師をされる、
湘南vision大学のイベントに参加してきました!
波動医療研究湘南海岸砂浴、音浴、光浴で体の芯から健康ワーク

それらがすべて
交じり合って
融合して
今の日本人がいる。

神話の中で
神様として語られている存在は
あなたのルーツご先祖
中略
日本の原住民である縄文人旧石器人の
血を色濃く残しているのは
沖縄の人や
アイヌの人たち。
沖縄の久高島のノロは
全人類
地球のために
4000年も祈っている。
中略
キーワードは
縄文とまつり
沖縄は、日本が誇る世界の聖地。
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目に視えないものを信じてきた日本人。
科学が発達したことで、
退化したものもあるのかもしれない。
科学で証明されないものをどう受け入れるか。
僕が思うスピリチュアル精神世界は、
祈り、想い、願い。
それを否定することは、
4000年祈り続けてきたノロの方、
1万年を超えるあいだ自然信仰を続けている、
日本人のルーツを否定することにはならないか。
祖先を想う秋分の日の前に、
墓前に手を合わせる日本人の精神性を
見つめ直そう。
前回のブログの続き、
神社ライターモクさんオススメイベント
エントリーNo3
日本の暁起き〜スピリットの源流に戻る〜

登壇者は、京都大学名誉教授鎌田東二さんさん、
神主の資格を持つ型破りの
神道シンガーソングライターでもあります。
一般社団法人日本神話協会理事の榎本具紀さん
元演劇部でもありますので
軽妙な話術で、皆を楽しませる神話講師として
各地で公演講演しております。

映画の上映
お申込みはこちらから
日本の暁起き〜スピリットの源流に戻る〜

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この秋分の日を含む、秋彼岸に、
自分のルーツを想う、
自分のアイデンティティと向き合う。
この盛りだくさんすぎるお知らせはまるで、
詰め込みすぎて、詰め込みすぎて
大トロにフォアグラを重ね、
キャビアを添えたように。。。
何でもかんでも、重ねたり、添えたりすれば、
いいわけじゃねーだろ、
思いながらも、
最後まで、お付き合いいただいたあなたに、
お礼を兼ねて一言。
食欲の秋です!
それでは、会場で会いましょう!
フォォォックス

大阪にて ( ミュージシャン )

お酒を3週間飲んでいません。
ここ数年
休肝日さえ無い僕にとっては
ものすごいことです。
成人して33年目にして最長記録。
体調が悪いわけではありません。
飲まないとどうなるんだろうか、と思って。
はっきりわかったのは
飲まなかった翌日は調子いいけど
飲まなかった夜は調子が悪いこと。
今日は大阪です。
明日のコンサートのリハーサル終了。
さてさて今夜は?

頑張り屋の女性の特徴

最近、セッションのクライアントさんと
会話していて、感じること。
頑張り屋の女性の特徴のひとつ。
それは、コレ。

まかせる、ゆだねるがとっても苦手

相手につながって、引き出す時に、
わたしは静かに無になる時がある。
すると、セッションの進行まで、
仕切ってくれようとしたりする。
先回りして、想像して、
結論を出そうとする。
間、が怖くて、
相手の反応が怖くて、
そこをうめようとするのだ。
そのザワザワが、
伝わってくる。
チカラを抜いて待ってみる、
が、とっても怖いのだ。
でもね、余白がないと、
そこに
ほかは入ることができない。
相手にまかせてみましょう。
その反応を待ってから、
次に行きましょう。
そう伝えることがある。
そんなこと?って思うけど、
案外、頑張り屋さんは、
できなかったするものなのです。
それは、深い心理があったりするけれど、
まずは行動を変えてみてもらう。
まかせる、ゆだねるは、
女性性の側面のひとつ。
女性性って、
水にもたとえられるものなのです。
ご提供メニューはこちら

千葉、館山へ

18,19日に館山へ行きました。
館山には祖母が一時住んでいた家があります。
母の荷物を持って行くのと、祖母のお墓参りが目的です。
ちょっとだけ、美味しい物も食べましたが、写真を撮り忘れました。
基本的には道の駅や地元のスーパーで、食材を買って自分で調理をして食べました。
メインはみる貝のお刺身とさざえのつぼ焼きでした。
帰りは海ホタルに寄りました。
先月行った時は、風が強くて大変でしたけど、この日は風も波も穏やかででした。
なので、ぐるッと一回りして写真を撮ってみました。
東京湾と海ホタルの様子です。
画像の添付がいっぱいになったので、続く。

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大川周明 「米英東亜侵略史」(第六日)日本、国際聯盟脱退、大東亜戦争勃発 - 日本の心


               大川周明       大川周明 「米英東亜侵略史」 (第六日)    日本、国際聯盟脱退、大東亜戦争勃発             第六日
 ロンドン会議は、日本現代史に対して深刻無限の意義を有して居ります。第一次世界戦このかた、日本の上下を支配して来た思想は、英米を選手とせる自由主義・資本主義と、ロシアを選手とせる唯物主義・共産主義であります。深く思を国史に潜め、感激の泉を荘厳なる国体に汲み、真箇に日本的に考へ、日本的に行はんとする人々は、たとへあつたしても其の数は少く、其の力は弱かつたのであります。
 然るにロンドン会議は、啻に此等少数の人々のみならず、多数の国民の魂に強烈なる日本的自覚を喚び起す機縁となつたのであります。而してロンドン会議の責任者浜口首相は、遂に国民義憤の犠牲となつたのであります。 日本はワシントン会議以来、アメリカとの政治的決闘に於て、常に敗け続けて来たのであります。いまやロンドン会議に勝誇れるアメリカを見て、此の上敗けては遂に息の根が止められるぞといふ大なる憂が国民の魂の底から湧上つて来たのであります。それは我等の先輩が黒船の脅威によつて幕府も忘れ各自の藩も忘れて尊皇擁夷のために奪ひ起つたと同じことで、米国国務長官スティムソンは、100年以前にベルリが日本に対して勤めた同じ役割を勤めたのであります。 ロンドン会議に至るまで、日本はアメリカの東洋進出に対して常に譲歩して来たのであります。そのアメリカの政府が余り傍若無人であつたために、アメリカの政治家のうちにさへ、日本の憤激をかって戦争を誘発せぬかと心配した人が少くなかつたほどであります。 例へば加州に於ける排日問題の時でも、大統領ルーズヴェルトは、日本人は斯くの如き侮辱を甘受ずる国民でないと信じて居たので\xA1
▲侫↗螢團麥Ψ鎧蔑甦吋Ε奪匹紡个掘~浸鮊䡄楫海旅況發鮗擷韻討眄錣卞世襪笋♡猗漚擦茲箸い嫐仁瓩鯣唎掘⊆¤睨謹貽軀得鐐茲砲覆譴丱侫↗螢團鵑脇䡄椶里發里箸覆襪任△蕕Δ反咾斥ɜ気任△弔燭里任△蠅泙后\xA3
 そして心配に堪へ兼ね、フィリピン派遣といふ名目で陸軍長官タフトを東京に寄越したのでありますが、タフトが来て見ると、国民こそ激しく噴慨して居りましたが、政府は毛頭左様なことを考へて居りませぬ。そこでタフトは東京から 『日本政府は戦争回避のために最も苦心を払ひつつあり』 と打電して、ルーズベルトの愁眉を開かせて居ります。
其の後十数年を経て、移民問題が再び日本国民を憤激させた時も、余りに日本の体面を傷つけては戦争になるかも知れぬと心配した米国政治家が少くなく、当時の駐日米国大使モリスの如きも其の一人であります。但し此の時も日本政府は、干戈に訴へても国家の面目を保たうなどとは夢にも考へていなかつたのであります。
最後に1934年埴原大使をして、無法に日本人排斥法を通すならば 『重大なる結果』 を生ずるだらうと抗議させましたが、却つて上院議員ロッジのために 『日本はアメリカを脅迫するつもりか』 と開き直られ、もともと覚悟を決めての抗議でなかつたのでありますから、結局如何なる結果をも生ぜずに済みました。 然るにロンドンン会議以後、事情は全く一変したのであります。政府は依然として英米に気兼ねしながら、国際的歩みを徐々に進めんとしたに拘らず、国民は日本国家の根本動向を目指して潤歩し始めたのであります。政府はロンドン会議に於て低く頭を下げたに拘らず、国民は昂く頭を擡げて、アメリカ並びに全世界の前に、堂々と進軍を始めたのであります。此の日本の進軍は、実に満洲事変に於て其の第一歩を踏み出したのであります。 1928年、父張作霧の後を継いで満洲の支配者となれる張学良は、南京政府及び多年に亙るアメリカの好意を背景として、東北地帯に於ける政治的・経済的勢力の奪回を開始したので、満洲に於ける日本の権益に対する支那側の攻撃は年と共に激化し、排日の空気は全満に溢らんとするに至りました。もと満洲
に於ける日本の権益は、ボーッマス条約に基くものであります。
 若し当時日本が起つてロシアの野心を挫かなかつたならば、満洲・朝鮮は必ずロシァの領土となつたであらうし、支那本部もやがて欧米列強の狙の上で料理されてしまつたことと存じます。日露戦争に於ける日本の勝利は、啻にロシアの東洋侵略の歩みを阻止したのみならず、白人世界征服の歩みに、最初の打撃を加へた点に於て、深甚なる世界史的意義を有して居ります。
 此の時以来日本は、朝鮮・満洲・支那を含む東亜全般の治安と保全とに対する重大なる責任を荷ひ、且つ其の重任を見事に果たして来たのであります。其の間に如何にアメリカが日本の意図を理解せず、日本の理想を認識せず、間断なく乱暴狼藉を働きかけて来たかは、三日に亙つて述べた通りであります。  此のアメリカの後援を頼み、南京政府の排日政策に呼応せる満洲政権は、遂に暴力を以て日本に挑戦し来つたのであります。それは取りも直さず1931年9月18日の柳条溝事件であります。而して時の政府が断じて之を欲せざりしに拘らず、日本全国に澎湃として溢り初めた国民の燃ゆる精神が、遂に満洲事変をして其の行くべきところに行き着かしめ、大日本と異体同心なる満洲国の荘厳なる建設を見るに至つたのであります。 我等は満洲事変が、斯くの如き事変の発生を最も憎み且つ恐れて居た幣原氏が、日本の外交を指導しつつありし時代に起つたことを考へて、歴史の皮肉を想はざるを得ぬものであります。併し乍ら満洲事変は、決して日本に取りて不利なる時期に起つたのではありませぬ。運命は明かに日本に向って微笑して居たのであります。即ち此の事変の起つた193\xA3
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 さればこそスティムソンは、共の著 『極東の危機』 の中で 『若し誰かが、外国の干渉を受けずに済むと考へて、満洲事変を計画したとすれば、無上の好機会を掴んだものと言はねばならぬ』 と申して居ります。満洲事変はそれほど国際的に好都合の時に起つたので、日本のためには甚だ幸運であつたと存じます。

 但しアメリカは勿論手を換いて見て居るわけはありませぬ。国務長官スティムソンは事変勃発の四日後、即ち9月22日に駐米大使を経て謂はゆる『熱烈なる覚書』を日本政府に交付して居ります。その中で彼は『過ぐる4日間満州に於て展開せられつつある事態には、夥しき数の国々の道徳、法律及び政治が関係して居る』 と、威丈高になつて居ります。
 其の後に至り満洲事変に対して執つた国際聯盟の行動は、一としてスティムゾンと相談しなかつたものがなく、また其の指図に由らぬものがなかったのであります。当初スティムソンは、幣原外相に大なる期待をかけて居ました。国際聯盟、四国条約、九国条約、不戦条約、総じて此等の世界現状維持のための約束に欣然参加し来れる日本の外務省は、此度とてもアメリカの意図を無視した行動を取るまいと考へて居たのであります。 これは決して私の想像でなく、スティムソン自身が同年9月23日、即ち 『熱烈なる覚書』 を日本に叩き付けた翌日の日記に 『予の問題は、アメリカの眼が光つて居るぞといふことを日本に知らせること、及び正しい立場に在る幣原を助けて彼の手によつて事件の処理を行はしめ、之を如何なる国家主義煽動者の手にも委ねてはならぬといふことである』 と書いて居ります。
 スティムソンは、之も彼自身の言葉によれば、日本の外務大臣が日本に燃え上つた国家主義の炎々たる焔を消し止め、過去及び現在の征服を中止して、日本をして九国条約及び不戦条約に再び忠実ならしむるべきことを希望し、且つ其の可能を信じて居たのであります。而して幣原外相も恐らく此の希望に添ひたかつたに相違ありま廿んが、事変の発展はスティムソンの希望を完全に打砕き、彼は矢継ぎ早に 『不愉快なるニュース』 のみを受取らねばならなかつたのであります。
 而して此の年の12月に民政党内閣が倒れ、翌1932年1月、日本軍が錦州を占領ずるに及んで、スティムソンは遂に 『談合によつて満洲問題を解決せんとした予等の企図は失敗に終つた』 と告白して居ります。而して今度は 『満洲の平和撹乱者に対して、全世界の道徳的不同意を正式に発表する手段を取り、若し可能ならば日本の改心を要求する圧力となるべき制裁を加へる』 と決心したのであります。 彼は此の目的のために国際聯盟を利用したのであります。国際聯盟は、スティムソンの属する共和党とは反対の政党、即ち民主党の大統領ヰルソンを生みの親とし、而も共和党のための勘当を受けた子供であります。然るに今や共和党の国務長官が、自ら勘当した子供を日本制裁のために働かせようとして、一切の鞭撻と激励とを与へたのであります。
 彼は1932年春、カリフォルニアとハワイとの間に於て、全米国艦隊の大演習を行はしめ、演習終了後も之を太平洋に止めて日本を威嚇しました。而して一方絶えずロンドンとジュネーブに圧力を加へ、此の年3月12日には、聯盟総会をして2月18日に独立を宣言せる満洲国に対し、不承認の決議をなさしめました。 而して此の年11月末には、国際聯盟は謂はゆるリットン報告に基いて、日本に対して満洲を支那に返還せよといふ宣告を下したのであります。其の後此の宜告を続つて長い劇的な討論が行はれましたが、遂に我が松岡代表が 『欧羅巴やアメリカの或る人々は、いま日本を十字架にかけんとして居る。而も日本人の心臓は、恫喝や不当なる抑制の前には鉄石である』 と叫んで、日本の決意を世界万国の前に声明したのは、英米に対する宜戦詔勅の換発せる12月8日と、日も月も同じ10年前の12月8日であります。
 而して翌1933年2月14日、リットン報告書が遂に聯盟総会によつて採択せらるるに及んで、松岡代表は即刻会場を退出し日本は立どころに国際聯盟を脱退したのであります、国際聯盟は言ふまでもなく世界旧秩序維持の機関であります。それ故に我々は、復興亜細亜を本願とすべき日本が、世界の現状即ちアングロ・サクソンの世界制覇を永久ならしめんとする斯くの如き機構に加はることに、当初より大なる憤りを感じて居たのであります。然るにスティムソンの必死の反日政策が、日本をして国際聯盟より脱退せしめる直接の機縁となつたことは、是れ亦歴史の皮肉と申さねばなりませぬ。

 さてスティムソンは、一九三二年十二月下旬、次期大統領に選ばれたフランクリン・ルーズヴェルトから、外交政策に就いて相談したいからといふ招待を受け、紐育ハイド・パークのルーズヴェルト邸で、長時間の会談を行ひましたが其の後数日を経てルーズヴェルトは、米国の対外政策に於て両者の意見は完全に一致したことを発表して居ります。従つて現大統領の東亜政策又は対日政策が、スティムソンのそれと同一なるぺきことは、既に此の時より明白であつたのであります。 スティムソン政策の拠つて立つところは飽までも九国条約を尊重し、之に違反する行動は総て不法なる侵略主義と認め、徹底して之を弾劾するといふのであります。従つて此の政策を完全に継承せるルーズヴェルトは、今回の支那事変に際しても、当初より日本の行動を不法と断定し、支那の抗戦能力強化を一貫不動の方針として有らゆる援助を蒋介石に与へて来たのであります。
 此の事はルーズヴェルトが、1937年10月5日、シカゴに於て試みたる最も煽動的な演説の中に、極めて露骨に言明されて居ります。―― 『条約を蹂躙し、人類の本能を無視し、今日の如き国際的無政府状態を現出せしめ、我等をして孤立や中立を以てしては之より脱出し得ざるに至らしめし者に反対するためにアメリカはあらゆる努力をなさねばならぬ』、 而してまさしく此の言明の通り、日米通商条約を廃棄し、軍需資材の対日輸出を禁止し、資金凍結令を発布して、一歩一歩日本の対支作戦継続を不可能ならしめんとすると同時に、蒋政権の抗戦能力を強化するためには、一切の可能なる精神的並びに物質的援助を吝まなかつたのであります。 日本は若しアメリカが東亜に於ける新秩序を認めさへすれば東亜に於けるアメリカの権益を出来るだけ尊重し、且つアメリカの謂はゆる門戸開放主義も、此の新秩序と両立し得る範囲内に於ては十分に之を許容する意図を有つて居たのであります。
 然るにアメリカは、東亜新秩序建設を目的とする我国の軍事行動を以て、飽までも九国条約・不戦条約に違反する侵略行為となし、頑として其の見解を改めざるのみならず、東亜新秩序はやがて世界新秩序を意味するが故に、斯くの如き秩序−アングロ・サクソン世界制覇を覆するに至るべき秩序の実現を、その根抵に於て拒否するのであります。 而も斯くの如きは決して現大統領の新しき政策に非ず、実にアメリカ伝統の政策であります。即ちシュウォードによつて首唱せられ、マハンによつて理論的根拠を与へられ、大ルーズヴェルトによつて実行に移された米国東亜侵略の必然の進行であります。此の伝統政策あるが故に、日米両国の衝突は遂に避く可らざるものであり今や来る可き日が遂に来たのであります。

 弘安4年蒙古の大軍が多々良浜辺に攻め寄せた時、日本国民は北条時宗の号令の下、立どころに之を撃退しました。いまアメリカが太平洋の彼方より日本を脅威せる時、東条内閣は断乎膺懲を決意し、緒戦に於て海戦史振古未曾有の勝利を得ました。敵、北より来れば北条、東より来れば東条、天意か偶然か目出度きまはり合はせと存じます。 熟々考へ来れば、ロンドン会議以後の日本は、目に見えぬ何者かに導かれて往くべきところにぐんぐん引張られて往くのであります。此の偉大なる力、部分部分を見れば小さい利害の衝突、醜い権力の争奪、些々たる意地の張合ひによつて目も当てられぬ紛糾を繰返して居る日本を、全体として見れば、何時の間にやら国家の根本動向に向つて進ませて行く此の偉大なる力は、私の魂に深き敬慶の念を喚ぴ起します。私は此の偉大なる力を畏れ敬ひまするが故に、聖戦必勝を信じて疑はぬものであります。                         米英に対する開戦の詔勅      【関連記事】米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書 (昭和16年12月8日)

【石平のChina Watch】「毛沢東流思想弾圧」の復活 ( その他国際情勢 )

http://www.sankei.com/apr_news/images/v1/basic/logo_header_newsblk.png
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2018.9.20 11:00
【石平のChina Watch】「毛沢東流思想弾圧」の復活
http://www.sankei.com/images/news/180920/wor1809200009-n1.jpg 「東方経済フォーラム」全体会合で演説する、中国の習近平国家主席=12日、露ウラジオストク
 中国では今、大学教員に対する当局の言論弾圧・思想弾圧が猛威を振るっている。
 今月1日、厦門(アモイ)大学人文学院歴史学部の周運中助教授が懲戒免職の処分を受けた。周氏がネット上で「間違った言論」を行ったことが理由である。処分を発表した大学当局の通達によると、周氏の言論は「歴史の事実を歪曲(わいきょく)し、党と国家のイメージを損なった」から「決して許してはならない」という。
 周氏の言論は、どのように「歴史の事実」を「歪曲」しているのか。彼のネット上での発言は今や完全に消されているから確認することはできない。国内検索サイトの「百度百科」に掲載されている彼の経歴を見ると、今年35歳の周氏は、名門の復旦大学で博士号を取得し、中国社会科学出版社から『鄭和下西洋新考(鄭和の南海遠征に関する新しい考察)』という44万字の大作を出版した優秀な学者である。
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修理屋的な……。 ( 日々の出来事 )

職場の音楽室にあるACアダプタが紛失したキーボード(楽器の方ね)。単1の電池を入れて使っていたのですが、不便だしコストもかかるので、同じ電圧が出せるアダプタを見つけてきてプラグを交換、電池無しでもちゃんと使えるようにしました。
教室で使っている延長コード。誰かが手荒く扱ったようで破損。これまたその辺にあった断線したコードの壊れていない部分と合わせて、ニコイチで1本使用できるように。
職場のLAN上の共用HDD。バックアップ用のHDDが壊れたので、急遽手持ちのHDDをもっていって接続、バックアップ用のソフトを入れて設定。これでまた飛んでもナントカなるので、早めに新しいHDDを買ってもらわないと……。
家では妻のノートPCが突然停止。「バチッと音がした!」というので、ああ、こりゃあホコリとかなんかで電源周りがショートしたかな、もうダメかなあ、などと思いながら点検しました。よく見ると本体ではなくACアダプタのコードがネジれて中の導線が露出してショートしてました。これも同じ電圧のACアダプタにプラグをつけ替えて解決。
クルマのフロント左ピラーのカバーが外れました。ナビをつけたときに、業者が中のピンを折ってしまったんでしょう、ブチルゴムのテープで固定してありました。ヒドイ仕事だ。コレも適当なモノを取り付けて再度固定。
とまあ、週明けから3日間でこんなことばかり。やらないと自分が困るしのでやりますが、ホントメンドくさいなあ。今日もなんかあるような気がするんですが。

9月18日の食事会

献立は鮭のきのこ蒸し・玉こんにゃくとごぼうの煮物・ナスと秋野菜のサラダ・桃の
ヨーグルト添えなどでした。四郎さんと国分さんの30分コンサートもありました。

2018年9月20日 (木)

おはようございます?WINのだいちゃんです。 - 楽しくイキイキ☆CUTHOUSE WIN.☆阪急十三駅東口徒歩4分☆

カラーで変化をつけたいお客様に、ハイライトやローライトを入れた3Dカラーなどはいかがでしょうか変化もつけられ気分転換にも良いと思います?詳しくは、スタッフまでお申し下さいませ。ご来店、お待ちしております?

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